自然観察園の前身は盛岡高等農林学校時代の植物園であり、その歴史は創設時(1902年、明治35年)まで遡ります。『回顧六十年』には、「明治38年12月28日植物園開設」と記されていますが、その設置場所や規模などについては明記されていません。
東京帝国大学、札幌農学校に続くわが国3番目の大学植物園でありましたが、1911年(明治44年)今の場所に移転しました。開設当時の植物園は、「元第一教舎の南東」にあったと記録されていることから、今のミュージアム本館付近にあったものと思われます。移転後、しばらくは植物園として利用されてきましたが、1974年(昭和49年)に農学部に再び移転し、今の植物園の場所になりました。
この敷地には、高等農林時代からの樹木・灌木がそのまま残されていたことから、自然観察園(通称「学芸の森」)として多くの市民と学生に親しまれてきました。
自然観察園は、高等農林学校時代の植物園を引き継いだもので、種類ごとに植物を植えた分科園、岩手山と早池峰山を模し高山植物を植えた岩山、水生植物を植えた瓢箪(ひょうたん)池、花壇など、植物園として整備されたようです。
1915年(大正4年)、高等農林学校に入学した宮澤賢治は、この植物園に関心を持ち、ここで2首の短歌を詠んでここを舞台装置とした『「旅人のはなし」から』を残しています。そして、賢治関連の著書にしばしば載る賢治と学生5人の写真の背景には、分科園が写っています。
その後、植物園から自然観察園となりましたが、設置からほぼ一世紀に近い時の流れの中で、園内に2棟の建物が建てられたり、台風などの自然災害に遭い植物園時代の植物や景観は変質したり、消失したりしました。
しかし、この100年は木々を育て続けました。4階建をはるかに超す30m以上の樹木が多く、オニグルミの果実を探すリスも講義室の窓から見ることができます。
現在の自然観察園