宮澤賢治とブナノキ

六月のブンゼン燈の弱ほのほ

       はなれて見やる ぶなのひらめき

                                 歌稿  大正六年五月より

 宮澤賢治は、大正4年に農学第二部に入学しました。二年生の時から関豊太郎教授のもとで、盛岡付近の地質図の作成や秩父・三峯地方の土壌調査に参加しています。地質学・土壌学を懸命に究めようとする賢治にとって、化学実験は特別な意味をもっていました。

 当時、賢治は第二教棟西隅の第一化学実験室をおもに使っていました。ブンゼン燈はガスバーナーのことで、空気を下の穴から混入して温度を自由に調節できるので、空気穴を絞って火力を落とすと弱い炎がひらめきます。初夏の頃のブナは淡い緑色の薄手の葉を着け、かすかな風にもひらひら揺れて光ります。

 縄文の昔から、東北地方の大地をおおう森の主役は、ブナでした。開発にともない、ブナは人々のそばから次第に遠ざかっていきました。賢治は、ブナの木々が豊饒な土をもたらすことをよく知り、特別の思いがあったようです。

縄文人の原風景に欠かせないブナ